「姉の、遺体が無いことについて、なのですが」
 山城幸さんの妹、山城里実さんの口が開く。
 葬式が終わってから数日。洒落っ気も無い全国チェーンの喫茶店で、僕と彼女は向かい合っていた。少し離れたところで勉強道具を広げている学生は、窓の外を眺めているだけ。里実さんの後ろに座っている小太りの女性も、よくわからないが何か作業に没頭している様子。こちらに刺さってくる視線は無かった。
 ひとまず、コーヒーを啜る。湯気が肺を満たし、黒い汁に触れた舌が苦味を訴え、食道が熱くなった。
 山城幸さんの、遺体。
 それは多分、どこかに隠されているか、あるいは遺体とも呼べないような形になってしまったかのどちらかだろう。どこかに埋めてあるとか、ミンチになっているとか。
 彼女が死んでいないということは、ない。犯人は殺人の罪等で捕まっている。ということは、警察が犯人を捕まえる根拠となった何かがあったわけで、それは同時に山城幸さんが殺された証拠ともなっている。それが何だったかは、聞いていないが。
「里実さん。その話は止めよう」
 そして、僕はこれからもそれが何かを聞かない。
 聞いてもきっと、僕は納得できない。
 ただ平穏に僕と生きていた彼女が、大した理由も無く殺されて、何の意味も無く死んだことが、僕には納得できない。彼女の死でさえもあまり実感していないのに、遺体について話されても何も理解できないだろう。
 だから話したくない。
 理解できないなら話を聞いても聞かなくても関係が無いが、それでも聞きたくない。
 里実さんは目を伏せ、そうですねと言って俯く。
 窓の外から聞こえる、アスファルトとゴムが擦れる音。店内で椅子を引きずる音。カップとソーサーが触れる音。フォークが皿にぶつかる音。音に満ち溢れた店内から、切り取られてしまったような感覚があった。
 再びコーヒーを啜ろうとすると、向かい側に置かれたカップにも指がかけられていた。思わず顔を上げると、里実さんと目が合う。ふと、嘗て彼女に言われた事を思い出した。
「姉が、言っていたのですけれど」
 構わずカップを口元に運んだところで、里実さんが言う。
「どちらかといえば私のほうが扶桑さんに合っている、のだそうです」
 思わずむせてしまいそうになった。口の中に残っていたコーヒーを慎重に飲み込み、カップを置く。かちゃり、という音が、少しだけ大きく響いた。
「ちょっと傷つくよなあ、それ」
「ええ。自分の恋人をすすめられるなんて、思ってもいませんでしたから」
 くすくすと笑う里実さんを見て、僕も笑っていることに気づく。
 かつて里実さんを避けようとしていたのは間違いだったのかもしれない、とも思えてしまうほど。
「僕も似たようなことを言われたよ。恋人に妹をすすめるなんて……」
「やっぱり、変わってますよね」
 そう、彼女は変わっている。論理的ではあるものの、常識的ではなかった。以前デート中に、犬を連れた人を見かけて、家族に首輪をつけるなんて変わった趣味だね、とつぶやいたときの顔は今でも記憶に残っている。その後立ち寄った店で、皮製のベルトと僕の首を交互に見ていたときは流石に普通な僕でもその意図を察して、それを未然に制止できたが。
 その話を里実さんにしてみると、目を丸くした後に、
「でも、姉ならやりそうではあります」
 納得したような顔を、僕に見せた。
 ――そういうことか、と一人合点する。
 姉と違って普通で、かつ異常な姉に慣れていて、それを受け入れることが出来る。
 なるほど、確かに僕とは似ている。そういう意味では、少なくとも友人としてやっていく上では十分気が合うのかもしれない。
「……ええと、突然ですけど、扶桑さん」
 だから。
「連絡先を、教えてくださいませんか」
 自分から提案しようかと悩んでいたところに、向こうから誘いが来たら。
「扶桑さんと話していると、なんだか楽しいので。……姉さんが、言っていた通りに」
 二つ返事で了承してしまっても、自然なことだ。
 だって、僕も彼女も、普通なのだから。


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