中学、高校のクラスメイトや部活仲間。大学の友人、サークル仲間、バイト先の同僚らしい人。彼女の両親と、妹と、その他親戚。そこには多種多様な面々がそろっており、誰もが似通った黒服を着ていた。
 彼女はいない。いるのは、この集まりの意味を対して意識せず知人との再会を喜ぶ者、そうしたいけれど常識は知っているからか抑えている者。人前だからと愛想笑いを浮かべる者。人前だからこそ大声で涙を流す者、善人気取りでそれを慰める者。塞ぎこんで何もしていない者。
 主賓がいないにもかかわらず、バリエーション豊かな来賓である。
 山城さんの葬式は、死体が無いまま行われた。
 暢気な人たちの中には、彼女の死を実感していない者も多いのだろう。実感した上で暢気にしている者も、まあいてもおかしくない。所詮、他人事だ。
 愛想笑いを浮かべている人は、帰宅すれば涙を流すのだろうか。泣き叫んでいる人は、それを慰めようとする人と抱き合うのだろうか。塞ぎこんでいる人は、そのうち吹っ切れて、何事も無かったかのように過ごそうとするのだろうか。何にせよ、ここにいるのは場違いな気がした。誰に向けてでもなく軽く頭を下げて、その部屋を出る。
 廊下には冷房が届いておらず、むわりと湿った空気が肺に流れ込んできた。蝉の声が聞こえる。白い壁が眩しい。ただ、だからといってどうということはない。靴音が鳴る。足の裏に僅かな衝撃。肌に風を感じる。それが続く。ただ、それだけである。
 気がつくと、洗面所の鏡の前に立っていた。折角なので顔を洗ってみることにする。冷水が、焦熱に晒されていた肌から体温を奪う。少しだけ、気持ちいいと思えて、何の気なしに鏡を見た。そして、妙に腑に落ちたような感覚を覚えた。
 生き物だとは信じられないような顔が、鏡の向こうにあった。試しに口をもごもごと動かしてみる。当然、それと同時に鏡に映った顔も口を動かす。しかしそれでも、よくできたCGのようにも見えてしまう。
 山城の葬式は、死体が無いまま行われたというのは間違いだったようだ。
 死体はここにある。最も、それを棺に納めようものなら彼女の葬式ではなくなってしまうのだが。
 冗談はさておいて、これから僕はどうなるのだろう。事情聴取はうんざりするほど受けたから、山城さん関連で何か言われることはあるまい。あとは親に多少同情されるくらいだろうか。まあ、それくらいは問題ない。
 問題はこの顔だ。大学に行けば嫌でも友人と会うことになるが、その際にこの死んだ顔を晒すことになる。どういった反応をされるかは、流石に予測がつくことだ。話は弾まないだろうし、そもそも話しかけられるかどうかも危しい。明日の朝までにこの顔が元に戻っていなければ明日はずっとそんな調子だろうし、一週間、一ヶ月と続けば人間関係はリセットされるかもしれない。
 ……、おや。それのどこが、問題なのだろう。
 自分の事ながら理解できなくなり、しかし同時に納得した。
 僕の世界は、山城さんごと滅んだ。ならば大学での関係など瑣末なことではないか。
 僕がいつまでも死んだ顔をしていても何の問題も無い。僕が何をしようと、僕が何をされようと、世界は既に滅んでいる。今僕が、心臓を動かして、脳に電気を駆け巡らせているのは、そう、エピローグのようなもの。あとは活きず生きて死ぬだけの、簡単な人生。
 体中に染み渡っていた気だるさが、幾分か去ったような気がした。のそのそと洗面所を後にし、数歩進んで深呼吸をする。気だるさの代わりに染み込んで来たものは、何も無かった。だが、それでも構わない。後は終わるだけなのだから、何を持っていようが、何ももっていなかろうが、問題ない。
「あ、あの」
 不意に声をかけられる。何の警戒もせず、直ぐにそちらを向いて、直ぐに警戒しなかったことを後悔した。
「お久しぶりです、扶桑さん」
 ぺこりと会釈をしたのは、山城さん。
 正確に言えば、僕の嘗ての恋人であり現在死者である(と思われる)山城幸よりもほんの少し大衆受けがよさそうな顔立ちをした、山城……さんの妹。山城さんと違って、ありきたりなお話で涙を流し、奇抜なお話で首をかしげる普通な子。今は亡き世界の山城さん曰く、『どちらかといえば私より君との相性はいい』妹さん。
「姉が、お世話になりました」
「ああ、こちらこそ」
 とりあえず、反射的に礼をする。それからどんな話をすればいいのかも分からないので、それじゃあ、と踵を返してその場から立ち去ろうとしたところ、再び声をかけられる。
「その、よかったら、少しお話でも」
 そう言った彼女の顔は、僕とはまるで異なった、希望の残滓が見える顔だった。
 彼女と話してはいけない。山城さんの妹と、話してはいけない。彼女の希望に形を与えてはならない。
 にもかかわらず、僕が頷いてしまった時。
 誘蛾灯で焼け死ぬ羽虫を笑えないな、と思った。


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