一〇八の煩悩が消えるように除夜の鐘を全部一人で聴いた。ぼーん、ぼーんぼーん、「のー」と私はふざけて鐘に合わせて呟いた。ぼーんぼーんぼーん。 「好きってなんだろう」 私もこたつの一辺にごろりと横になって天井を見上げる。うちの和室に友達三人がいて、新しい年を迎えているなんてなんだか不思議な気分だった。それも、二、三年前までは全く別の人生を歩んできた人たちで、そして今も違う人生を歩んでいる人たちで。 人生って難しい、と夏葵や秋乃に指摘されたことをわざと呟いていると、鐘の音が止んだ。そろそろ初詣にいく準備をしなくてはいけない。 「起きてー!」 私は起き上がると、そのままこたつをひっくり返すような勢いで三人を起こしにかかった。 分厚いコートに身を包み、マフラー、手袋、帽子をつけて四人で歩いて向かった先は、近所の八幡宮だ。寒い寒い、とぶつぶつ言う夏葵に、黙々と歩く秋乃、おしゃべりをする私と春川ちゃんという楽しい組み合わせで、ちょこちょこと足を動かして、すっかり凍った道路に負けないように歩いた。 八幡宮には屋台がたくさん出ていた。たこ焼きにたい焼き、お好み焼きに焼きそば。もくもくと上がる湯気にはおいしそうな香りがついているけれど、たらふく食べてたらふく飲んだ私たちは、お参りの列に並ぶだけだった。「眠い眠い」とぶつぶつ言い始める夏葵に秋乃が「寝たら死ぬぞ」と真顔で言うのがおかしくて、私と春川ちゃんはけらけらと笑った。 列の遅い進みに、四人で手をこすり合わせながら待っていると、不意に空から雪が降ってくる。初雪なんかじゃなくて、今年もう何度も見た灰色の雪に半ばうんざりするけれど、屋台の灯りに透かされて、それはなんだか綺麗に見えた。 「ぶぶぶ」 雪が降るのをぼうっと眺めていた時に、誰かのマナーモードが音を立てた。各々コートのポケットを探る。「あ、彼だ」と呟いたのは、夏葵だった。 「お年賀メール?」 と私が少しだけ茶化した声で言うと、夏葵は肩をすくめた。メール画面を開いて文面を読んでいる夏葵を観察していると、夏葵は少し微笑みかけて、それから急に難しい顔をした。そして、携帯をまたポケットにしまう。 酔いも少し醒めて、先ほどの言い争いが思い出されてきた頃合いの私と夏葵の間にまた微妙な空気が流れた。夏葵を見ていたら、視線に気が付いたのか不意に目が合った。夏葵はため息をついた。白い吐息だった。 「みんなには黙ってたけど」 列が進む。両手をこすりながら、寒さで赤くなった鼻をすすりながら、夏葵が言った。 「いろんな片想いをしていたような気がするけど、付き合いたいと思ったのは彼だけだった。あのさ、結構わりと、本気で好きだったよ、前から、その、なにがしくんのこと」 喧騒の中では聞こえづらいような声だったのにもかかわらず、私の耳には夏葵の「好き」がはっきりときこえた。春川ちゃんは微笑んだ。秋乃は頷いた。列が進む、私は言った。 「そっか。――おめでと」 多少素っ気なかったかな、と思ったけれど、歩きながら言うと、夏葵は私を見てへらへらと笑った。「ありがとう」とその声が無邪気なので、私の方もほっとする。「さっきはごめん」と言うと、夏葵も「まあねあたしも」と早口に言った。 「っていうか、春川ちゃんは知ってたの?」 寝ていたはずの春川ちゃんがただにこにこしているので、私が聞くと、春川ちゃんはふんわりと、「夏葵ちゃんの告白がうまくいくように、クリスマスプレゼント一緒につくったもんね?」と夏葵に向って言った。 「眠ってたけど聞こえてたよ。あのね、夏葵ちゃんは前から言おうとしてたけど、たまたま機会がなかったんだよね」 春川ちゃんの声が明るい。それで私は心底夏葵に対して悪かったなあと思い、肩をすくめた。夏葵が照れて春川ちゃんを小突くのを見ながら、もう一度心の中で夏葵に謝った。 「ぶぶぶ」 その時、またもや誰かの携帯が鳴った。――今度は春川ちゃんだった。 「あ、彼だ」 小さな小さな呟きとともに、春川ちゃんがメールを確認する。見るともなしに私たち全員が春川ちゃんの一挙一動を見つめていると、春川ちゃんは「チキン」と口を動かした。 「チキン?」 思わず聞き返すと、春川ちゃんはにこにこした。「そうなの、彼はチキン。弱虫毛虫、臆病者」と歌うように節をつけた。 「『今年もメールしような』だって。私にも捨てられるんじゃないかって、怖いみたい。この人っていっつもそうなの」 春川ちゃんはゆっくり、言葉の味をかみ締めるかのように言った。そしてそれから、 「でもそんなだめなとこも昔から知ってる。ずっと昔から。だからべつに、いい」 と言って、メールに返信をはじめた。「いい」というのは、嫌いにならない、嫌いになれない、ということなのかな、と私は思った。「昔から知ってるって、いいね」と夏葵が息を吐きながら言った。春川ちゃんは上の空にそれを聞いてうなずく。それからパタリと携帯を閉じると、 「今年も好き、って送っといた」 と笑った。いたずらっこの笑みだった。いつもの春川ちゃんとは違う春川ちゃんがそこにいるような気がして、私たちはただうなずいた。 「ぶぶぶ」 幕締めはやはり秋乃だったようだ。秋乃のポケットが震える。秋乃はなにも言わずにメールを読んだ。それは案の定、秋乃の彼氏さんからだったようだ。秋乃は相変わらずに表情を変えない。なんてきたのだろう、と事情を知っている私だけがはらはらする。春川ちゃんと夏葵は列の進みにあわせて歩みを進めた。 「……」 秋乃は無言だ。春川ちゃんが「夏葵ちゃん、甘酒飲みたいね」と言う。「いいねいいね」とあんなに飲んだはずなのに、二人ははしゃぐ。 「秋乃」 と私がそっと秋乃をつつくと、秋乃は無表情な顔を私にむけて――そして瞬間、顔をくしゃくしゃにした。 「別れてもいいなんて、うそかも」 秋乃は泣き出しそうな顔で、「ほんとうは別れてもいいなんて思ってない」と言った。 春川ちゃんと夏葵は、一歩前で無邪気に笑いあっている。私は口をぱくぱくとさせた。いい言葉が思いつかない。 けれど秋乃は、私の言葉を必要としていなかったようだ。目をぎゅっと瞬くと、もとの真顔に戻った。 「ねえ冬美、好きというのは、そういうことだよ」 お参りの順番が近づいてきた。みんなが各々握った五円玉に託す、去年の感謝と今年の祈りは、それぞれなんという言葉で表されるのだろう。 私は笑っている春川ちゃんを見る。それからその隣で「ああ長かった」という夏葵を見る。私の隣で沈黙している秋乃を見る。そして自分の手のひらの五円玉を見る。雪の結晶が広げた手のひらの上に降ってきて、すぐに溶けてなくなった。 「難しい」 と私は呟いた。五円玉がお賽銭箱に放り投げられる音を聞きながら、私は思う。 よくわからない、と神様に打ち明けてみようかなと思うと同時に、知りたいな、とも思った。それを私の祈りにしようと、思った。 <了> |